【VS映画】バーサスシリーズ傑作6選の勝敗を一気に振り返る

バーサスシリーズ傑作6選の勝敗を一気に振り返る

映画の世界には、「もしこのキャラクターとあのキャラクターが戦ったら…?」というファンの想像をそのまま形にした“VS映画”(バーサスシリーズ)というジャンルがあります。

異なるシリーズ、異なる世界観の主人公たちが対決するこのジャンルは、作品そのものの面白さに加え、夢のようなキャラクター同士の競演という特別感で、多くの観客の心をつかんできました。

ただの共演ではなく、明確に対決構造が描かれ、どちらが強いのか・どちらが勝つのかという緊張感と高揚感。
しかし、その結末は必ずしもスッキリとした“決着”ではないこともしばしばです。

この記事では、これまで実写映画として公開された代表的な“VS映画”6作品を厳選し、それぞれの対決の概要と、どちらが勝ったのか(あるいは決着がつかなかったのか)をわかりやすく整理してご紹介します。

ホラー、SF、アメコミ、そして怪獣──

さまざまなジャンルで実現した「夢の対決」。

果たして勝者はどっちだ?

1.フレディVSジェイソン(2003年)

2000年代初頭、ホラー映画ファンが熱望していた夢の対決がついに実現しました。

『エルム街の悪夢』シリーズのフレディ・クルーガーと、『13日の金曜日』シリーズのジェイソン・ボーヒーズ──ホラー界の二大殺人鬼がスクリーンで激突するという前代未聞のクロスオーバー作品です。

物語は、悪夢の中で人々を殺す力を持つフレディが、現実世界での恐怖を復活させるために、長らく沈黙していたジェイソンを復活させ、人間たちを襲わせるところから始まります。

ところがジェイソンが予想以上に暴走し、自分の思い通りに動かなくなったことから、フレディとジェイソンの直接対決へと発展していきます。

勝敗:引き分け(共倒れに近い)

クライマックスでは、湖のほとりで激しい肉弾戦を繰り広げる両者。

フレディの知略と超常能力、ジェイソンの圧倒的な肉体と不死性がぶつかり合い、どちらが勝つとも言えない大接戦となります。

最終的に、ジェイソンがフレディの腕をもぎ取り、その生首を持って水中から姿を現しますが、その首は不敵な笑みを浮かべたまま。

フレディの完全な敗北とは言えず、物語はどちらも生き残ったような形で幕を閉じます。

この作品は、あえて勝敗を明言しない結末にすることで、両シリーズのファンに対するリスペクトを示し、物議を醸しながらも伝説的な“VS映画”の幕開けとなりました。

2.エイリアンVSプレデター(2004年)

『エイリアン』シリーズの凶暴な生命体・エイリアンと、『プレデター』シリーズの高度な知能と戦闘力を持つ狩人・プレデター。

SF映画の二大モンスターが激突する、まさに“史上最凶”のクロスオーバーが本作です。

舞台は南極。調査隊が古代遺跡の地下に眠る神殿を発見し、そこに潜入したことをきっかけに、プレデターの成人の儀式が開始され、同時に封印されていたエイリアンたちも目覚めます。

人間たちはその戦場に巻き込まれ、プレデターとエイリアンの死闘の只中で、生き残りをかけたサバイバルを繰り広げることになります。

勝敗:引き分け(両者生存せず、戦いは次世代へ)

激戦の末、プレデターの1体“スカー”が人間の女性と共闘し、エイリアン・クイーンを海中に沈めて倒します。

しかしスカー自身も重傷を負って死亡。人間は脱出に成功しますが、エンディングではプレデターの遺体から“プレデリアン”(エイリアンとプレデターの混種)が誕生することが示され、完全な終結とはなりません。

明確な勝者を決めず、むしろ次なる戦いへの布石を残した形。

続編『AVP2』へとつながる、SFバトルのプロローグ的な作品となりました。

3.AVP2 エイリアンズVS.プレデター(2007年)

『エイリアンVSプレデター』の直接の続編にあたる本作では、前作のラストで誕生した“プレデリアン”──エイリアンとプレデターの混種生命体が、舞台を宇宙から地球へと移し、人類を巻き込んださらなる惨劇が描かれます。

物語は、墜落した宇宙船からプレデリアンが脱出し、アメリカの小さな田舎町でエイリアンを増殖させていくところから始まります。

エイリアン駆除のため、プレデターのエリート戦士“ウルフ”が単身で地球に降り立ち、町全体を巻き込む壮絶な死闘が繰り広げられます。

勝敗:引き分け(共倒れ、町は壊滅)

ウルフは数々のエイリアンを倒しながらプレデリアンとの一騎打ちに挑みますが、両者ともに致命傷を負い、決着はつかないまま。

最終的には、感染拡大を防ぐために政府が核爆弾を投下し、町ごと全てを消し去ってしまいます。

エイリアンもプレデターも、人類すらも犠牲となるこの結末は、明確な勝者を置かないという“VS映画”における典型的な構造を踏襲しつつ、よりシリアスでビターなトーンを強調した作品となっています。

4.バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生(2016年)

DCコミックスの二大ヒーローが、同じスクリーンで激突するという歴史的対決を描いたのが本作。

圧倒的なパワーを持つ異星人スーパーマンと、天才的頭脳と最先端の装備を持つ人間バットマン――正義の名のもとに戦う二人が、皮肉にも敵として向き合うことになります。

物語は、前作『マン・オブ・スティール』でのスーパーマンの戦いによる被害を目の当たりにしたブルース・ウェイン(バットマン)が、「神の力を持った存在が暴走したとき、誰が止めるのか」という不安と警戒心から、スーパーマン排除のために行動を開始するところから始まります。

一方のスーパーマンもまた、暴力的な制裁を繰り返すバットマンのやり方に疑問を抱き、両者の対立はやがて決定的な衝突へと発展していきます。

勝敗:バットマンの実質勝利 → その後共闘

戦いの中でバットマンは、知恵と装備を駆使しスーパーマンを追い詰め、あと一歩でトドメを刺すというところまでいきます。

この時点ではバットマンが勝利したと見てよいでしょう。

しかし、スーパーマンが「マーサ(母の名)」という言葉を発したことをきっかけに、バットマンは自らの怒りに疑問を抱き、戦いを中止。

二人は誤解を解き、真の脅威である“ドゥームズデイ”と共に戦うことになります。

最終的に、スーパーマンはドゥームズデイを倒す代償として命を落としますが、その後の「ジャスティス・リーグ」へとつながる大きな流れがここで生まれました。

対決はあくまで通過点として描かれ、共闘と和解によって幕を閉じるヒーロー映画ならではの“VS”となっています。

5.貞子vs伽椰子(2016年)

Jホラーの代名詞ともいえる『リング』シリーズの貞子と、『呪怨』シリーズの伽椰子――日本が誇る最恐の怨霊同士が、異例の形で対決するクロスオーバー作品です。

都市伝説的な存在である二人の霊が、共演するだけでなく“戦う”という設定は、公開当時大きな話題を呼びました。

物語は、「呪いのビデオ」を見てしまった女子大生と、その友人を助けるべく奔走する霊能者コンビの視点から始まります。

呪いの解除方法を模索する中で、彼らは「貞子の呪いを、伽椰子の呪いとぶつけ合うことで打ち消す」という禁断の計画を実行に移します。

その舞台となるのが、あの“呪いの家”。

そこで呪いのビデオを再生することで、貞子と伽椰子の力を引き寄せ、直接対決が始まるのです。

勝敗:決着せず(融合)

クライマックスでは、両者の霊力が激突し、怨念のぶつかり合いが描かれますが、どちらかが倒れることはありません。

むしろ、戦いの中で二つの呪いは融合し、“貞伽椰子(さだかやこ)”という新たな怪異へと変貌します。

この融合体はさらに強力で、貞子と伽椰子の恐怖を併せ持つ存在として、観客に新たな恐怖を与える存在となりました。

明確な勝敗がつかないどころか、さらなる“最悪”を生み出してしまうという展開は、ホラー映画ならではの皮肉でもあり、この作品を一層異質で記憶に残るバーサス映画にしています。

6.ゴジラvsコング(2021年)

“怪獣王”ゴジラと“巨獣王”キングコング――東西を代表する怪獣がついに激突。

長年のファンの夢が実現した、モンスターバースシリーズの頂上決戦です。

物語は、突如人類に敵対的な行動をとり始めたゴジラの謎を解くため、コングを“地底空洞”の世界へと向かわせるという計画から始まります。

しかし、両者が出会った瞬間に激突は避けられず、海上や都市部で凄まじい戦闘が繰り広げられます。

また物語の裏側では、人類が“人類のための怪獣”として極秘に開発していたロボット怪獣「メカゴジラ」が暴走し、真の脅威として浮かび上がります。

勝敗:ゴジラの勝利 → その後共闘

戦いはコングが圧倒される形で終わり、物理的にはゴジラの勝利といって差し支えありません。

コングは戦闘不能に陥るものの、人間の介入によって蘇生されます。

その直後に現れたメカゴジラとの戦いでは、ゴジラとコングが共闘し、協力して脅威を打ち倒します。

最終的に、ゴジラはコングにトドメを刺すことなくその場を去り、両者は生きたまま物語の幕を下ろします。

“決着はついたが、戦争にはならなかった”。そんなバランス感覚のある終わり方が、エンタメとしての満足感と両キャラクターへのリスペクトを両立させたバーサス映画の模範例といえるでしょう。

まとめ:決着がつかなくても、人は「対決」を観たい

ここまで紹介してきたように、バーサス映画はジャンルを問わず、ホラー、SF、アメコミ、怪獣と、さまざまな“強者たち”の夢の対決を実現してきました。

しかしその多くに共通するのは、「はっきりとした勝者が決まらない」という点です。

なぜなら、対決する両者にはそれぞれ熱狂的なファンが存在し、一方的な敗北は誰かの期待を裏切ることになるからです。

それに加えて、続編やシリーズ展開の可能性を残すためにも、「引き分け」や「共闘」「融合」といった結末が選ばれやすくなっています。

それでも、観客はこうした対決を見たくなる。なぜなら、そこには“もしも”を映像で叶えてくれる映画ならではのロマンが詰まっているからです。

今後も、どんな「VS」が実現するのか──。

ファンの妄想が、次なるクロスオーバーを生むかもしれません。

あなたが観てみたい“バーサス”は、誰と誰ですか?